青春の思い出


16歳で原付の免許を取り、17歳で昔の中型免許を取りました。
免許を取って直ぐに買った、念願の400ccのバイク。
当時は、レーサーレプリカ全盛期。
初めて買った400ccのバイクは、SUZUKI GSX-R 400。
400ccで初めてアルミフレーフになり、市販車として初めて200km/hを超えたバイク。
毎週土日は近くの峠へ走りに行き、そこで仲良くなった仲間も大勢できた。
ある日、仲良くなった仲間が峠で自動車と正面衝突をして死んだ。
その日を境に峠で走ることを止めて、サーキットへ走ることにした。
よくある漫画のような話し。

年に何度か、多い時で月に2回、軽トラにバイクを積んで岡山県の中山サーキットへ。
保安部品は全て外してあるし、取り付けてある部品は全てレース用。
タイヤも町乗り用の溝のあるタイプじゃなくて、溝の無いレース用のスリックタイヤ。
いわゆる当時のF3仕様。

バイクでレースがしたくて、19歳で運送会社に就職。
稼いだ年間500万円の給料のほとんどをバイクに注ぎ込むことも。
当時は本当にレースの世界にどっぷりと浸かりたかったし、アマチュアレーサーの憧れ鈴鹿4時間耐久レースにも出たかった。

21歳で地元の建設機械メーカーへの部品営業する商社へ就職し、その会社の社長との約束で25歳までバイクに乗る。
その会社の社長も、25歳まで車でレースをしていた。

中山サーキット近くの取引先の工場へ会社のトラックで行き、仕事を済ませ、そのままサーキットへ行くことも何度もあった。

セッティングが合わず、走れない日もあった。

社長と約束した25歳、いつもの中山サーキットで練習走行中、
いつもよりコースがよく見える。
路面のキズが、オイルのシミが、路面の凹凸が一つ一つ見える。
ブレーキングの感覚がいつもより冴えている。
そんな最高のコンディションの中で、奥のヘアピンコーナーを抜けたS字コーナー。
ちょっとした失敗でリアタイヤがスライド、その後はアウト側の縁石に乗り上げバイクは大破。
ヘルメットを被っている頭の先から、革ツナギを着ている全身までオイルでビッショリ。
アウト側の縁石に乗り上げた際に、クランクケースを割ってしまったのです。

転倒後、安全な場所までバイクを移動させ、練習走行の時間が終わるまで地面に座り込みバイクを眺めていた。
ハンドルとバックステップも折れ、クランクケースを割ってしまい、修理をするにも金銭的な余裕ももう無い。
25歳、社長と約束した最後の年、こんな形でバイクでサーキットを走ることを卒業した。
夢の鈴鹿4時間耐久を走ることもなく。

今でも、当時のことを話す機会がたまにある。
同年代の友人達と話しをしても、サーキットで走るようなことを経験したことが無い者がほとんど。
お金はかかったが、人にできる唯一の自慢話。

当時の物で、着ていた革ツナギだけが今でも残っている。


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